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05 KIICHIRO.H / RYU.H

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アフリカ大陸走破!喜望峰にて

喜望峰/南アフリカ
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暑いな..目が覚めた。
狭い車内で、もじもじと寝袋から這い出すと
カーテン越しからも日差しが差し込んでた。

よし、ついに晴れたか。今日こそ喜望峰に行こう!

少し準備をしてから、二人が座席に乗ったら
さぁアフリカのゴールに向かって出発だ。

ケープタウンの街中を抜け、海岸沿いにでる。
左側にあるということは、これはインド洋なのだろうが、やたらごつごつした岩場が続いている。
確かにペンギンがいそうなところだ。

最後の町サイモンズタウンを過ぎると、山間の道に入る。
さらにしばらく進むと、ついに国立公園のゲートに着く。
なんだ、喜望峰行くのってお金かかるのか...

そして、午後1時ころ、ついに喜望峰が視界に入った。
喜望峰(Cape of Good Hope)の上に広がる青空。
昨日までの雨雲も今は綺麗に消えている。

半年も苦労して駆け抜けたアフリカのゴールだ、こうでなくっちゃ!



でも、せっかくのゴールで、しかもこんな爽快な天気なんだから
「やったー!」との一言も出るのかと思いきや、そうでもない。
不思議と気持ちは穏やかなものだ。

まぁ、まだ旅は終わってないし、大変なのはこっからだし...
何しろ、ここまで来るのにお金はをほとんど使ってしまって、
南米の旅資金なんて残ってないんだから、全力で喜べるような場合じゃないよ!笑

それに、まだ自分の中で、この旅の意味っていうのもよく分かってない。
1年かけてここまで走ってきて、振り返ってみると、

自分って何か学んだんだろうかと考え込んでしまう。いつもの悪いくせだけど
怒涛のように過ぎてった日々で、自分は何か変われたんだろうか。
期待していたような何かに近づけたんだろうか。

“車でユーラシア大陸を横断し、アフリカ大陸を縦断する”

そんな一見ハッタリみたいな試みも、色々あったけどここまで来れた。
「いや、無理でしょ」という人もいたけど、そんなことはない。
動画で隆も言ってたけど、日本で考えてたより簡単だったというのは本当の気持ちだ。

勘違いされても困るので言っておくと、ここまで来れたのは、
別に僕らがすごかった訳ではもちろんない。当然といえば当然だと思う。

一緒にアフリカを旅したリカさんが言っていた。
「アフリカを西回りを、全て陸路で、車で走破した日本人っていないよー!」

逆に言えば、そんな西欧人なら幾らでもいるということだ。

道中も、「ハーイ!君たちも縦断中かーい?」みたいな人たち3組と出会った。
「え...そんな軽いバカンス気分で来てるのか...」
とあまりの意識の違いに少しショックを受けたものだ。

じゃあ、これにユーラシア横断が加わるとすごいのかというと
これも別に驚くことはない。

理由は簡単。ベルリンの壁の崩壊からロシアの開放
さらにはこれまで内戦等で通れなかった国が通れるようになったこと、
アフリカの道路やネットなどのインフラがここ数年で急速に整ってきたこと、
そして、当時の今とは比べものにもならない過酷で未知な世界へと挑戦をされた方々の残してくれた貴重な情報の蓄積があったからに他ならない。

こういう時代の移り変わの中で、僕らと同じルートをいつかは誰かが通ったはず。
それを僕らが経験させてもらったのは、本当に恵まれたことだったと心底思う。

こうして考えてみると、出発前の自分はいかに実際の外の世界を知らなかったのか...

いや、いかに自分は何でも知ってると勘違いをしていたことか!
本とネットさえあれば、世界中のどんなことでも知れると思っていたのかもしれない。
どれだけ傲慢な考えだったのだろう、と思う。

教科書には、アフリカの気候については書かれていても
「暑すぎる...」という実感までは教えてくれなかった。

ニュースでアフリカのテロ事件について知っても
実際にここにいて感じる恐怖については教えてくれなかった。

奴隷貿易という忌まわしい過去があったことは教わっても
それが今だに現地の人の精神構造に深い傷跡を残していることなんて知る由も無かった。

ガーナのレバノン人のカフェオーナーが言っていた。
「ここで働く黒人連中は本当に信用ができない。少し目を離すと、すぐに悪さをしでかす!」

コンゴの青年が話していた。
「白人はあまり好きじゃない。彼らの僕たちへの言葉使いは、まるで自分がボスかのようだ!」

まさか!今は21世紀だよ、もうそんな時代じゃないでしょ!と思うかもしれない。
でも、これがコンゴでも最も教育水準の高い大学を出た者の言葉だとしたらどうだろう。

自分はアフリカの何を知っていたのか。何を思い上がっていたのか。

日本は世界でも最高の国の一つだ。もちろん今でもそう思う。
でも、日本は世界の中心ではない。

いくらITを駆使したところで、ここが島国である限り
僕らは世界から見た情報弱者なのかもしれない。暴論だろうか

日本で見る世界地図では中心にあったはずの日本が、
ヨーロッパの地図では、右の端っこにあるちっこい孤島にすぎない。
なんだこれは!これが普通なのか!?

アフリカではアジア人は、中国人ということになる。
どこかを歩いていれば「ニーハオ!」と声をかけられる。

「ノーノー、アイム ノット チャイニーズ!」と返す。

「オー!そしてらコリアンかい?」と聞かれるから、それも違うと返す。
そろそろ次あたりに、ジャパニーズがきてもいいだろうと思っていると、そうでもない。

「あー、ごめんごめん!マレーシア人か!」

なんと...
自分の誇っていた「世界の日本人」像はどこへいったのか。
そんなものは虚像にすぎなかったのかもしれない。

自分は何も知らない。
旅の日々は、そんな当たり前のことを教えてくれた。


そんな、この一年何をしていたのかと聞かれても、うまく答えられない僕らだ。
それでも、目を閉じれば、瞼の裏に焼き付いている光景がある。

シベリアの大地がどれだけ荒涼としていたか。
ヨーロッパの街並みがどれほど綺麗に整っていたか。
そして、アフリカの森林がどれだけ緑豊なものだったか。

これだけは僕らの自慢だ。

たとえ写真のデータが消えてしまったとしても、僕らの記憶からは消えない。
嘘みたいだが、その時の香りや暑さといったものを肌が覚えてるんだ。



それが僕らの一番のお土産だ。

そして、そんな旅をここまでさせて下さった皆さんには、本当に感謝してもしきれない。
僕らの想定があまりにも甘かったにも関わらず、本当に多くの方が支援、そして応援して下さった。

だからこそ、その期待に応えなければという意識は絶えず持っていたし
それが少し形になったので今は少しホットしてる。
(まだまだ終わってないけど!)

途中で会ったアメリカ人が言ってて、「あ!なるほど、そうだったのか!」と思ったことがある。
「旅は楽しいけど、一方で、自分が何も生み出していないという罪悪感は常にあるよね」と。
本当にそうだよな~とその時は妙に納得した気がする。

そういった意味で、このブログやツイッターを通して
少しでも世界一周というものを伝えられたかと思うと、少しは自分を慰めることができる。
少しでも生産的な旅をさせてもらえた幸運に感謝しなければいけないと思う。

こんなことを書いていると、
「またまたー!いつも自己完結させてるー!」と
リカさんから手厳しい言葉が飛んできそうだ。多分本当に...

気持ちが落ち着いてると言ってたくせにこんなことを書くとは、
やはりどこか気持ちが高ぶってしまっているのかもしれない。

今一度、目をつぶり、ロシアからここまでの日々を思い出してみると、ぞっとする(笑)

二度と同じことをするかーー!!
と思うと同時に、ここまでこれたのが、やはり信じられないように思える。

あまりに多くのことが起こりすぎた。
よくもまぁこの短期間にこれだけの問題に出くわしたな、と自分でも思う。

だからこそ、
道中助けてくれた人々、
日本から温かく見守って下さった方々、
そしてあまりにも多大な迷惑をかけたリカさん、
そんな多くの皆さんの支えがあって、今、ここに立っている、と心から思う。



もしかしたら応援してくれた方も、この景色を見て、
「ようやくここまで来たー!やったー!」と自分のことのように喜んでくれているかもしれない。
実はそれが一番嬉しかったりします♪

さぁ、皆さん
「やりましたよー!ついに喜望峰まで車で来ましたー!」



でも、これで終わりじゃない。
僕らの旅はまだ続く。

2ヶ月後の2013年7月から
アルゼンチンからのアメリカ大陸縦断へ
ご期待ください!


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